自分の心と向き合う

ちょっとでも暇があると、ぐるぐると暗黒面に落ちてしまいます。カウンセリングしてみたりヒプノセラピーやってみたり、じたばたじたばたと走り回っています。
色々煩悶しているうちに、ワタシの一番の問題は自己と周囲に対する「依存心」でありそれを克服する事が一番の問題なのではないかなーと思うようになりました。
検索しているうちにたどり着いたのが、この本でした。


コフート心理学では、最も重要な物は「自己愛」という概念であり、自己を対象として認識し・消化する事で精神的に回復して行く(うーん、中途半端な説明)とされています。相対する治療者と良好な認識関係を築く事によって、患者の自己を確率して行くという方法です。
治療者の自己対象としてコフートが考えたのは3つ。
「鏡自己対象」
褒めてほしいときに褒めてくれる、ひとりぼっちだと思ったときに注目してくれる人。自分を褒めてくれる・大切にされているると注目される事で、自分が価値のある人間だと認識できる。=野心の極
「理想化自己対象」
自分が認識できないとき、不安になってしまうときに、「大丈夫だ」という支えになってくれたり、目標を失ったときに生き方の方向性を与えてくれる、絶対の存在。=理想の極
「双子自己対象」
鏡にも理想対象にも同意できない場合に、同じ立場に立って同調してくれる対象。

本来なら治療者が意識的に患者にとっての自己対象となり、同調して精神のリズムを併せて、メンタル的に引き上げて行くという治療をするらしいです。
ですが、今思えば、ワタシは無意識に救いを求めて「自己対象となりそうな人」に、「理想」を「鏡」を「双子」を求めて依存してしまっていたのではないかと、今更ながら改めて思いました。治療者でもない周囲の人を勝手に「自己対象」として見ており、相手の「良いリズム」に依存すると言う、迷惑きわまりない精神動向だったみたいです。
相手だっていつも元気で正常な精神状態である訳ではなく、まさかワタシがそんな風に依存しているとは思いもしないで、通常の友人として接してくれていました。
依存している事に無意識なワタシは、相手の許容量いっぱいまで寄りかかってしまったんでしょうね。重みがかかれば、バランスも崩れ、結局一緒になってバランスを崩してしまいワタシをフォローして関わっていられない状況になってしまいました。
で、結局悲しい決別になりそうな人が何人か…。あぁワタシって本当にダメな奴。

コフートの言うところの「回復」は、自己対象から自立して脱却する事ではなく、周りの人をうまく「自己対象として利用できるようになる」ことだとしています。しかしながら、やっぱりどこかで、自分をスキになってくれる人、理想化できそうな人を、ついついひがんでしまったり、敵のように思ってしまって、勝手に孤独感を深めてしまい、バランスを崩してしまいがちです。
相手が治療者でない以上、どこまでが依存できるか、できないかの見極めをしっかりつけて、相手の良いリズムをうまく利用できるようになりたいです。
その程度の依存は許されるよね……?


さてさて、本の方ですが。この本の内容はJ大学で行われたコフート心理学に関する12回の講義の前半部分を要約した物でした。後半は壊れた心をどう治すか―コフート心理学入門〈2〉 (PHP新書)という本になっているらしいので、続けて読んでみたいと思います。