日本語の美しさを再確認

ボーカロイドとか最近のJ-popの歌詞って、言いたい事を全部詰め込まなきゃ行けないみたいな、ガッツリ詰め込み感があるなーと思ってました。

情報過多で言葉ですべて包囲されてて世界観を強制してる。聞く人の感情が入り込む余地がなくて、逆に曲の世界観が狭くなってる。

本当に昔に(下手したら多分小学生の頃)に「音楽を聴いて初めて涙した」曲に再会して、本当にそう実感した。ずっと買おうかどうしようか迷ってて、amazonのカートに入れたまま放置していたCDに、超偶然でお借りできる機会に恵まれた。

20th Anniversary Album sora no uta

20th Anniversary Album sora no uta


新居昭乃さんの「sora no uta」。一番最後の曲「美しい星」がそれで、多分20年ぶりくらいに聞いて、やっぱり涙があふれた。

もう一つは、アンジェラ・アキさんの「Home」

Home (通常盤)

Home (通常盤)


NHKで作詞講座みたいな番組をやっていらして、 どこまで言葉を削りつつ、伝えたい事を音にのせるかを話していらしたのが印象的だった。
アンジェラ・アキさんは、紅白の舞台で周りがゴテゴテのドレスやら振り袖やら衣装装置の中 、いつもと同じTシャツとジーンズだったのも好印象すぎた。

英語に比べて、日本語は一つの音で伝えられる要素が少ない。「What you say」(あなたのことば)「What I say」(わたしのことば)みたいにもっと意味を込められるけど、日本語だと「ことば」という音しか伝わらない。そのかわり「ことば」という言葉に複数の意味を持たせたり、その裏にある隙間を想像させる余韻がある。

今日手にした2枚のCDは限られた音の中で、聞く人のイメージを聞く人自身にゆだねて、より広がりが大きくなるというよい実例だったと思う。