女の業は悲しくも恐ろしい

夏の終り (新潮文庫)

夏の終り (新潮文庫)


瀬戸内寂聴さんの自伝的小説…らしいです。怖いです。
実際の本と一緒に、書評鼎談「恋愛小説ふいんき語り」(ポプラ社の広報誌asta*で連載)*1での対談も併せて読みました。(実際にはかなりのタイムラグ有り)


小説だけ読んだときは、ちょうどワタシも身の回りの人間関係がごたごたしているときで、自分自身の女力に嫌気がさしていたときで、ぐっさーーーーーっと、内側から突き抜けるような、後味の悪い読後感を味わいました。
昭和30年代に、自分で自分を養いながら売れない小説家の愛人をやりつつ、若い恋人とも関係を持つっている主人公知子の30代。
現状が正しいとも思えないけど、誰もが決定的不幸ではなくて、居心地の良いんだか悪いんだか中途半端な日常を生きている。
何度も現状は間違っていると思い直して、関係を清算たほうがよいのかと七転八倒しつつ、でも安穏としたぬるま湯な日常に戻ってしまう知子の、煮え切らなさがじれったとともに、自分的に超痛い!!!ぎゃーーーー!
主人公知子をはじめとして、描かれる登場人物たちが、半径5mくらいの自分の手の届く範囲でしか現実を認識できておらず、その空間が平穏なら「まぁこのままでも良いか…」という、事なかれ主義に走ってるんですよね。マイナスとマイナスが合わさって、心中しかけたんだけど、適当に思いとどまってそのまま止まっちゃったという行動のぬるさ加減。
じりじりと一進一退を繰り返し、周囲は10年近い時間が経過しているというのに、二人の間だけ変わらないという閉塞感。
きーもーちーわーるーーーい!だけど、目が離せない。そんなジレンマに満ち満ちた作品でした。


「恋愛小説ふいんき語り」(米光一成さん、飯田和敏さん、麻野一哉さん)の対談では、知子がエキセントリックな(というより素っ頓狂なデスメタル女)と読み解かれていました。解釈の方向性は同じなのに、こんなに感じ方が違うのって、やっぱり男女差なのかなー。
(理解できない訳ではないけど、どっちかっていうとワタシには知子の方が共感しやすいので)

*1:「57式発想力」の先生で[http://blog.lv99.com/:title]の米光一成先生も参加しておられる、[asin:4575298611:title]の延長戦