都合のいい男・都合のいい女

恋文 (新潮文庫)

恋文 (新潮文庫)


を借りて、初めて連城三紀彦さんの作品を読んだ。
恋愛小説家で、この作品が初めて世に出たのが昭和59年、直木賞を取った作品らしいというのがwikiで得た知識。
「君はこの作品を読むべきだよ」と手渡されたのは、平成4年14刷のもので既に10年以上前のもの。大切に何度も何度も読まれた痕が見て取れた。
5編の作品が収められた短編集で、全体的に昭和40年台くらいなのかな?JRは国鉄でケータイ電話もない時代。
どれも心にじんわりと染み渡り、ぽろぽろと涙を流さずにはいられない作品もあった(特に表題作の恋文は、心に痛かった)
しかしながら、読み終わって余韻を持ちつつ一晩あけると、どの作品にも何となく違和感を感じるのだ。
それは書かれている時代のせいかもしれない。耐える女、どこまでも恋を隠す女、優柔不断な男、物わかりのよい男、それに甘える男。
なんかなー、都合の悪い状態を描き、それぞれコンプレックスをテーマにして共感を得ているのだけど、すべてが都合よく収まるところに収まっているのだ。みんな少しずつ我慢を抱えながら。
各作品の主人公の男たちは、みんながみんな優柔不断でみたくないものから目をそらす。周りの女はそれを生温く見守っている。男たちが知らない秘密を抱えて、じっと耐える女たち。
そして、どうにも都合の悪い状態をずるずると続けている。
優しいといえば優しい。
優しすぎて状況はより面倒くさくなり、悲しい状況が繰り返されている。
この作品を読んで私が思い出したのは
夏の終り (新潮文庫)

夏の終り (新潮文庫)


女の業は悲しくも恐ろしい(07年4月12日の感想)
なんか、これを思い出す雰囲気を感じずにはいられませんでした。
ごめんなさい。


そんなワタシが今参考にしたいのは

人生張ってます―無頼な女たちと語る (小学館文庫)

人生張ってます―無頼な女たちと語る (小学館文庫)

*1
まぁせめてこれくらいにしておくか。
妹たちへ―夢をかなえるために、今できること

妹たちへ―夢をかなえるために、今できること

*1:「恋文」を貸してくれた人の、あきれた顔が目に浮かぶ・笑