文字を書くという事

いつの間にか、気がついたら、長い文章を書かなくなってしまった。書こうと思っても、書けなくなっている自分に気づいて、とてもびっくりしている。
ワタシは元々文章を書く事が大好きで、小説まがいな物を書いて、世に出しては喜んでいた。少しでも反響が良ければ、鼻高々の有頂天。このまま仕事にできればいいなーとか、ドリーミンな妄想までしていたくらいだ。
同じ物を作る仕事としてデザインを選び、目の前のタスクに翻弄される忙しい日々を送って、文字を書くのはキーボードを通してのみ、読むのだって通勤の電車の中だけ、それも週刊の漫画雑誌のみみたいな日が続いているうちに、いつしか文章が書けなくなっていたのだ。
キーボードの前で、テキストエディターの白い画面を見つめて、硬直する自分に自分で驚いた。
あれほどすらすら、歌うようにわいていた言葉が出てこない。「話すスピードと書くスピードは、大してかわらない!」と豪語していたワタシなのに、ほんの数行書いただけで、頭が真っ白になってしまう。「書く事」よりも「言葉を紡ぎだす事」ができなくなっている自分がとても怖かった。
その上、自分の手で文字を書こうとすると、今度は漢字が書けない。パソコンの文字変換に頼りすぎたせいで、頭の中から漢字の記憶が抜け落ちてしまっている。焦って書こうとすれば、ひらがなまでたどたどしくなる。
「文字」「言葉」に対するスキルの著しい低下に愕然とし、これはヤバすぎる!と危機感を持たざるをえなかった。


去年の暮れに、思い立って手帳を新調した。
それまでは仕事とプライベートの予定のみのシンプルな見開き1週間のクオヴァディスを使っていたが、2006年は1P1日の「ほぼ日刊イトイ新聞謹製・ほぼ日手帳」にした。
シンプルなグレイのカバーに、文庫本サイズの手帳。書き込むスペースはたっぷり有り、月ごとのカラーリングが変えてある。毎日ちょっとしたコネタも楽しめる。評判だけは聞いていたが、ちょっと高めなのもありずっと二の足を踏んでいた。
手に入れた去年末から、毎朝仕事が始まる前に日記をつける事を習慣にした。三日坊主のつもりで、それでも良いと思っていた。
前日の反省と、本日予定の確認を込めて、ちょこちょこ書くようにしていると、そのうちなんだかんだで毎日ミッシリと文字で埋まっている。さすがに週末の分は2〜3日まとめて書く事も有るが、覚えているうちにメモをするようにしている。
仕事の進捗や、食べたもの。おいしかった感想、誰かとどんな話をしたとか。黒ワンコの事、読んだ本、素敵だった事、気になる言葉。
文字は汚い。慌てて書いて、生き別れ文字や、解読不能な文字も多々ある。読み返すと面白いし、自分の文章に頷いたり、赤面したり、泣きそうになったり。

今年も残り1ヶ月。
来年の手帳は、明るい黄色。
また、ミッシリと文字の詰め込まれた、ワタシの記録ができていくんだろうと思う。